穏やかな心によって幸せになる

現代人はただじっとしているだけでも苦痛を感じています。たとえ、快適なところに住み、豊富な食料に恵まれていても。逆に、これが原因で平凡な生活に飽き飽きしています。だから、自分の持っているものに満足していません。心の奥底では強く、外から新鮮な感情、または今とは違った何か取り込もうとし、それは歯止めがききません。そして、何かが変化し、元の状態から抜け出せると幸せを感じます。


しかし、実際にはただ苦痛を和らげただけで、それは座っている人や自分にとって楽な体勢でいる人となんら変わらないのです。それも長く続かないうちに疲れ、別の体勢に変えます。体勢を変えれば、またくつろぐことが出来ます。しかし、よく見れば、ただ痛みや疲れを和らげているだけなのです。

何にしても痛みや疲れが無くなるのは一時的なものです。体勢を変えたとしても、その体勢を長く続ければ、また同じように体勢を変えることになります。これを延々と続けていくのです。それは幸せを追い求めていることと同じです。つまり、苦しみから逃げることで、また新たな苦しみに遭遇し、そして次々と逃げ続けていきます。たとえ満足のいく感情を手にしても、望んだものを手にしても、そのうち飽きてしまうでしょう。内側に生じた強い欲がじっとさせてはくれません。新たに依存できる感情や何かをわざわざ探し、また飽きと直面するのです。そして、新たに何かを探し出すために足掻かなくてはならなくなり、それは終わりが見えないのです。
苦しみから逃げるだけの人生は、幸せを見つけることが難しくなります。苦しみから逃れるための道を探すことに疲れるだけではなく、挫折するまで苦しみから逃げ続けることなるのです。なら、苦しみと向かい合ってみる方が良いのではないでしょうか。止め処なく足掻き続けている内側の強い欲と向かい合って手を取るのです。特に飽きや雑念、イライラ、そして様々な願望と向き合ってください。
自分の心と向き合い、自分に起こっていることを認識します。それを中立な心で眺め、移入しなければ、それらの感情が風のようなものだと理解できます。吹いてきても、そのまま通り過ぎていってしまうのです。最後には心の中心で冷静さに出会います。そして、自分の心に幸せを供給することが出来るようになるのです。一々、外側にある何かから幸せを探し求める必要はありません。
2300年前の中国の哲学者老子は語りました。ある男が自分の影を煩わしく思い、また自分の足跡にも我慢できませんでした。彼はその二つから走って逃れようと努力しました。しかし、何処に走って逃げようとも影と足跡は彼を追い掛けてきたのです。彼は自分の走る速度が遅いのだと思い、速度を上げました。止まることなく走り続け、ついには力尽き、その場に倒れて死んでしまいました。老子は締め括りました。「彼は知っていたのだろうか。ただ日陰に入れば影は無くなり、ただじっと座るだけで足跡が残らなかったことを。」
現代人は影から逃げる男となんら違いはありません。苦しみから逃げるためにあらゆることをし、それが幸せに繋がると考えています。しかし、苦しみは止まることなく追い掛けてきます。知っていますか。苦しみはダンマの日陰に入り、心を穏やかにするだけで全て消えてしまうのです。

最後に、幸せな者とそうでない者の違いは、富と名声ではありません。どれだけ穏やかに過ごすことが出来るのか、ただそれだけです。

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